日本のロック界のドンといえば内田裕也です。数々の伝説に彩られた人ではありますけど、内田の音楽作品となるとすぐには思いつかないのがまたロケン・ロールな話ですwww🤭。しかし、彼にはこのフラワー・トラヴェリン・バンドがあります。内田は確かに大貢献しています。フラワー・トラヴェリン・バンドの前身はグループ・サウンズ時代の1957年に結成した内田裕也とザ・フラワーズです。当時、ヨーロッパに渡ってクリームやジミ・ヘンドリックスなどの最先端のロックに触れた内田がニュー・ロックを志して結成したバンドでした。フラワーズは、和製ジャニスと呼ばれた麻生レミをボーカルに迎えたバンドでしたけれど、彼女とスティール・ギターを担当していた小林勝彦が米国武者修行の旅に出るために脱退したことでメンバー再編を余儀なくされました。フラワー・トラヴェリン・バンド、FTBの誕生です。結局、内田はプロデュースに専念することとし、ボーカルには後に「人間の証明」で一世を風靡するジョー山中、ギターにはグループサウンズのザ・ビーバーズ出身の石間秀樹、ドラムに和田丈二、ベースにこれまたGS出身の上月潤の四人組でFTBがスタートしました。内田の目論見はとにかく世界に通用するバンドを作るのだ。ということであり、そのための改名でもありました。演奏も当時ロック界に革命を起こしつつあったレッド・ツェッペリンやキング・クリムゾンなどのカバーを中心に据えており、最初から土俵は世界でした。
🎦Flower Travellin' Band - Satori Part II - YouTube
FTBの転機となったのは1970年の大阪万博です。そこでライヴ・イベントに参加したFTBは、同じイベントに参加するために来日していたカナダのライトハウスなるロック・バンドと意気投合します。それをきっかけにFTBはカナダに渡ることになったのでした。FTBのデビュー作はカナダにわたる前に発表されましたが、カバー中心であったことから、カナダ土産には不足と感じたのか、出発前にわずか2日で本作品「サトリ」が制作されました。石間のギター・リフを中心に即興的に仕上げた作品です。石間は当時インドに入れ込んでいたそうです。ジャケットの内側にあるメンバー写真では石間はインドの弦楽器ヴィーナを抱えて座っています。それのみならず、そこに描かれている絵にはインドの神様やタジ・マハールなどを配したインド曼荼羅となっています。ことさらにインドっぽくしているわけではありませんけど、サウンド全体にそこはかとなく漂うオリエンタルな空気がFTBの個性となっています。この風合いが、四人組による堂々たるギター主体のロック・サウンドに加わることで圧倒的な迫力を生んでいます。本作品はアメリカのアトランティック・レコードから発表されています。公式サイトはこれを「日本のオリジナルロックが初めて世界のロックカルチャーに名乗りを上げた歴史的瞬間」としています。さらにシングル「サトリ・パート2」はカナダでトップテン入りしています。画期的な日本のロックに関する本を書いたジュリアン・コープは本作品を日本のロックのナンバーワンにあげています。大ヒットとは言えませんけれど、世界を相手に生み出された圧倒的なクオリティの作品であることは間違いありません。凄いアルバムですホント。。
Satori / Flower Travellin' Band (1971 Atlantic)
追記;ちなみにジェフ・ベックの記事で少々触れましたが、自分史上初めての野外フェス参戦が「ワールド・ロック・フェスティバル・イーストランド」(後楽園球場)でした。参考まで…
※参照
1975年8月「ワールド・ロック・フェスティバル・イーストランド」公演プログラム: ROCK&POP PARK
※参考 追悼・内田裕也 - 音楽ナタリー