montana_sf16’s diary

気まぐれではありますが「過去記事」を少しずつ掲載していきたいと思います。※アルバム紹介について。⇒ バンド名~アルバムタイトル~(掲載年月) ←この順番になっています。何かご覧になりたいもの等ございましたら受け付けますのでどうぞよろしくお願いいたします。🙇‍♂️

ラヴィ・シャンカール アット・ザ・モンタレー・インターナショナル (2019―3)

f:id:montana_sf16:20230618083527j:image💿️Ravi Shankar - Live at The Monterey International Pop Festival (1967) FULL ALBUM - YouTube

🎦Ravi Shankar at Monterey Pop (June 1967) - YouTube

こんな時代もありました。1960年代後半のロック・フェスティバル時代に、インド古典音楽がロックと同じステージに立ったんです。時はサイケデリック全盛期でもあり、ヒッピーたちの視線がインドに向けられていた時代です。インド古典音楽の名人の一人、ラヴィ・シャンカールは1967年6月に今や伝説となっているモンタレー・インターナショナル・ポップ・ミュージック・フェスティヴァルで見事な演奏をアメリカのオーディエンスに披露しました。画期的な出来事です。シャンカールは1956年からカーネギーホールなどで演奏していましたから、アメリカは初めてではありません。当初はジャズ・ファンが主な聴衆だったそうです。しかし、1966年にジョージ・ハリソンと会ってから、サイケデリック全盛のロック界からも声がかかります。ワールド・パシフィックなるレーベルを立ち上げてシャンカルを含むアジアの音楽を発信してきたリチャード・ボックからモンタレーの話が舞い込んできました。話に乗ってモンタレーにやってきたシャンカールにとっては、当時のカリフォルニアは驚くべき経験だったようです。フェスは6月16日から18日にかけて行われました。初日、シャンカールはオーティス・レディングに感動し、ママス&パパスでいい気分になり、ジャニス・ジョプリンの才能に強い印象を受けます。

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しかし、それからが良くなかった。ジミヘンとザ・フーです。ヘンドリクスがギターを燃やし、ザ・フーが楽器を壊しまくる姿を見て、シャンカルはいたく傷つき、違約金を払ってでも翌日の演奏予定をキャンセルすることを主張しました。あんな奴らの間で演奏したくない。考えてみれば正しい反応です。ボックと主催者側の話し合いで、シャンカールは3日目の昼、直前直後に誰も演奏しないことを条件に演奏することを承諾します。皆がほっと胸をなでおろしたことでしょう。結果、シャンカールもベスト・パフォーマンスと胸をはる演奏ができました。ステージではシャンカールのシタールに、伝説の巨匠アラ・ラカのタブラ、カマラ・チャクラヴァルティーのタンブーラが加わり、トリオで演奏が行われました。全部で5曲、トータルで2時間を超す演奏でしたので、LP1枚に収めるためにここでは3曲が選ばれました。シタールとタンブーラによる午後のラーガ「ビムパラシ」、ついでザキール・フセインの父でもあるアラ・ラカのタブラ・ソロ、そしてトリオでの「ドゥン(ダドラ・アンド・ファスト・ティーンタル」。ジミヘンも含めた聴衆の雰囲気は素晴らしく、シャンカールにとっても記憶に残る演奏でした。インド古典音楽の録音は概して空気感も収録しようと引いた感じで行われるものですが、ここではそれぞれの楽器の音が際立って聴こえます。いわばロック的な響きです。さらにシャンカールはロック聴衆にも分かりやすい曲を選んでいるので、相乗効果です。ヘンドリックスやジェリー・ガルシアも加わっていた聴衆はシャンカルの音楽を西洋音楽オルタナティブとして受け入れたのでしょう。シャンカールはウッドストックにも出演して、若者のハートを捉えます。インド古典音楽恐るべし。。😓

Live At The Monterey International Pop Festival / Ravi Shankar (1967 World Pacific)

参照:ラヴィ・シャンカル・インタビュー