montana_sf16’s diary

気まぐれではありますが「過去記事」を少しずつ掲載していきたいと思います。※アルバム紹介について。⇒ バンド名~アルバムタイトル~(掲載年月) ←この順番になっています。何かご覧になりたいもの等ございましたら受け付けますのでどうぞよろしくお願いいたします。🙇‍♂️

デューク・エリントン・オーケストラ 女王組曲 (2017-12)

f:id:montana_sf16:20240429102953j:imagef:id:montana_sf16:20220909080626j:image f:id:montana_sf16:20220909080639j:image💿️Duke Ellington: Queen's Suite - YouTube

私が敬愛する作家ボリス・ヴィアンデューク・エリントンが大好きでした。彼は「この世の中で美しいものは綺麗な女の子との恋愛とデューク・エリントンの音楽だけだ」という言葉を残しています。この言葉を反芻しながら「うたかたの日々」を読みふけったものです。とはいえロックばかり聴いていたので、エリントンの音楽に本格的に向き合うようになったのは随分後になってからです。その時には長い間探していた人にようやく会えたような気がしました。つまり、ボリス・ヴィアン全集を通して十分な知己になっていたんです。あ、それと実は、それよりも深く記憶に残っているのは、むしろエリントンが亡くなった直後にたまたま聴いた、ハービー・ハンコックによるソロアルバム「デディケーション」の中の2曲目に収録された ”Dolphin Dance” の邦題に「デューク・エリントンに捧ぐ」と記してあり、マイルス・デイヴィスのアルバム「ゲット・アップ・ウィズ・イット」ではジャケットに書かれた「FOR DUKE」の文字が強く印象に残っています。ま、そんな事情なので、自分にとってのエリントン像をくっきりと表してくれているのは、若い頃の作品よりも大権威となってからの作品です。グラミー賞に輝いた、この「女王組曲」などはぴったりです。功労賞をもらった後の作品ですし。「女王組曲」が邦題ですが、この作品は表題曲の他にグーテラス組曲、ユーウィス組曲を合わせた「エリントン・スイーツ」なる組曲集です。女王組曲は1959年の録音、グーテラス組曲は1971年、ユーウィス組曲は1972年の録音と足掛け13年のエリントンです。~続⤵️

f:id:montana_sf16:20220909153404j:image f:id:montana_sf16:20220909153424j:image 
f:id:montana_sf16:20220909153439j:image f:id:montana_sf16:20220909153456j:image

エリントンは1958年に英国での芸術祭に招かれて渡英し、エリザベス女王に謁見します。帰国後、その感激を曲にしたのが「女王組曲」です。1959年2月から4月にかけて、彼のオーケストラとともにニューヨークで録音しています。しかし、エリントンは1枚だけプレスしてエリザベス女王に献上し、一般販売を許可しませんでした。ようやく陽の目を見たのは1974年に彼が亡くなってからのことです。何とも素敵な話ではありませんか。デュークにのみ許される行為です。芸術音楽と大衆音楽の境目を進む優美な調べは女王にこそ相応しい。ほぼピアノ・ソロとなるのは「薔薇の花弁ひとひら」とでも訳しましょうか。この上ない美しさです。同時に「蛍と蛙」、「猿と孔雀」と出てきて、陛下を存分に楽しませてもくれます。素敵です。カップリングされたのはアルバム発表時点で比較的新しい作品となる二つの組曲です。「グーテラス組曲」はフランスにあるグーテラス城の修復落成式に招かれた時の感動を組曲にしたものです。最初と最後に「ファンファーレ」があるのは落成式ならではです。「ユーウィス組曲」はウィスコンシン大学で1972年に行われたエリントン祭にちなんで作曲されたものです。エリントンは4文字綴りに凝っていたのでこういう名前になったそうです。日本人だったら四文字熟語を使うところです。しかし、イベントに参加するたび、頼まれもしないのに曲を作ってくれるなんて、こんなにありがたいことはありません。イベントがらみですから曲も分かりやすいですし。これでは、エリントン楽団に声をかけないわけにはいきません。とまあ この作品では展開されるわけです。ジャケットの秀逸なイメージといい、もはや自分ごときが何を申し上げることがありましょうか。楽団のメンバーも大幅に入れ替わっているものの、どちらも変わらず貫禄の演奏を繰り広げます。さすがはレジェンドです。最後にエリントンと言えばあまりにも有名なこの曲を載せておきます。              🎦Duke Ellington, "Take the A Train" - YouTube

※参考記事 👇️

「すべての音楽家は、少なくとも1年のうち1日は楽器を横にエリントンにひざまずき、感謝の念を示すべきだ」              ("At least one day out of the year all musicians should just put their instruments down, and give thanks to Duke Ellington.")

f:id:montana_sf16:20220909161250j:image

マイルスは、終生エリントンへの絶大なる敬意を抱いていた。冒頭の言葉はそのマイルスが言ったとされる有名な言葉。(← 但し出典は未確認) エリントン没後直後、マイルスはエリントンを追悼して32分に及ぶ 「He Loved Him Madly」を録音し(1974年6月19日)この演奏を収録した『GET UP WITH IT』のジャケットに「FOR DUKE」と記す。前半をオルガン、終盤をトランペットで演奏。菊地成孔大谷能生の言葉を借りるなら、「He Loved Him Madly」は「世界中のあらゆる葬儀のための音楽エッセンスをひとつにまとめたかの如き、儀式性と抽象性に満ちた「世界葬儀音楽」」とでもいうべき音楽であり、マイルスは父性を投影した相手に対して、本気で哀悼の意を表している。He Loved Him Madlyを録音した1974年(と、その後の6年間)は、マイルスにとって最悪の時期だった。72年の"On The Corner"が評価されず、その一方で73年にハービーが"Head Hunters"を大ヒット。74年には酒と麻薬に溺れ、音楽をやめることを真剣に考え始めていたという。自伝にははっきり書かれていないが、マイルスのdepressionの遠因の一つとして、74年5月24日のエリントンの死も考えられるだろう。

The Ellington Suites / Duke Ellington and his Orchestra (1976 Pablo)