montana_sf16’s diary

気まぐれではありますが「過去記事」を少しずつ掲載していきたいと思います。※アルバム紹介について。⇒ バンド名~アルバムタイトル~(掲載年月) ←この順番になっています。何かご覧になりたいもの等ございましたら受け付けますのでどうぞよろしくお願いいたします。🙇‍♂️

デュラン・デュラン (2013―8)

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🎦  Duran Duran - Duran Duran (1981) Full Album - YouTube

デュラン・デュランはチャラいバンドの代表格でした。ニュー・ロマンティックスと呼ばれた当時の人気バンドの中にあって、ひときわ王子様感が強かったですし、またアイドル的な人気も凄かった。自分を含め、ニュー・ウェイブの「シリアスな」音楽に入れ込んでいた人々の間では揶揄の対象でした。しかし当時、たまたま知り合った、デュラン・デュランファンの英国人女性に、「そういうことを言うやつが一番うざい」と言われて反省したのもまた事実です。ま、皮肉を言わせたら世界一の英国人ですからネー 😞💦、当時は日本以上にとやかく言われていたそうで、本気で怒っていました。というわけで、デュラン・デュランに対するスタンスは右往左往しているのですけど、そんな自分たちでも、だいたい彼らの楽曲はよく覚えているものです。ヒットもしましたし、悔しいですけど、記憶に残るいい曲が多かったですからね。これはデュラン・デュランのデビュー作品です。久しぶりに聴いてみましたが、予想以上に面白かったです。ジャケットやPVのフリフリ・ブラウスには辟易しますが、こういうサウンドだったのか~と再発見したような気分です。デュラン・デュランはイギリスのバーミンガムで結成されたバンドです。初期のメンバーの中には、のちに英国のスーパースター、ロビー・ウィリアムスのプロデューサーとして名を知られるスティーヴン・ダフィーもいたと言いますから、最初から大したバンドだったんですね。~続⤵️

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 f:id:montana_sf16:20230216135233j:image f:id:montana_sf16:20230216135254j:image🎦Duran Duran - Planet Earth (Official Music Video) - YouTube

80年代初頭と言えば、ディスコ・ブームが終わって、クラブが認知され始めた頃、クラブ・ミュージックが蠢き始めた時期に当たります。デュラン・デュランはそんな時期に、自らの音楽を「ナイト・ミュージック」と呼んでいました。当時はクラブ・ミュージックという言い方がなかっただけで、同じ意味でしょう。まさに先駆者ですね。確かに、そのサウンドはクラブ・サウンドの先駆けになっています。このデビュー作ではその意図がよりあからさまです。ヒットしたデビュー・シングル「プラネット・アース」は自分も好きなのですが、ドナ・サマーというかジョルジョ・モロダーのような細かく刻むビートがまさにフロアを意識しています。全体にジョン・テイラーのベースとロジャー・テイラーのドラムは素晴らしいです。まるでデジタル・ビートのようです。コレ本当に人力ですよね。驚きます。ただ、中には「フレンズ・オブ・マイン」のように、まんまロキシー・ミュージックの「恋はドラッグ」みたいな曲もあるところが御一興です。アルバムはゴッドレー&クレームのPVで物議を醸す「グラビアの美少女」から始まります。この曲は全英5位のヒットを記録して、一躍彼らの名前を轟かすことになりました。当時はMTVの黎明期にあたります。彼らはそんなMTVの申し子だったんです。次いで「プラネット・アース」が置かれ、次々にキャッチーな曲が並んでいきます。ソング・ライティングのセンスも高いのですが、まだファーストは素朴な感じがします。そして最後にはインストの「テルアビブ」が入ります。決してアイドル的ではない、ストリングスを導入した屈託のある曲です。今から振り返ると、現代につながるサウンドであることがよく分かります。ま、女子と子供たちの判断は正しかったということです。

Duran Duran / Duran Duran (1981 EMI)