montana_sf16’s diary

気まぐれではありますが「過去記事」を少しずつ掲載していきたいと思います。※アルバム紹介について。⇒ バンド名~アルバムタイトル~(掲載年月) ←この順番になっています。何かご覧になりたいもの等ございましたら受け付けますのでどうぞよろしくお願いいたします。🙇‍♂️

グレン・グールド モー ツァルト/シェーンベルクピ アノ協奏曲 (2019―8)

f:id:montana_sf16:20230628155614j:image f:id:montana_sf16:20230628160727j:image💿️Piano Concerto No. 24 in C minor, K. 491 : I. Allegro - YouTube

💿️Schönberg: Piano Concerto, Gould & Craft (1961) シェーンベルク ピアノ協奏曲 グールド - YouTube

グレン・グールドによる唯一のモーツァルトの協奏曲録音だそうです。「シェーンベルクとのカップリングもユニーク」な面白い一枚です。ジャケットには二つの絵画が並べてあり、これがクラシックと現代音楽を対比させています。狙いがジャケットにあからさまです。表ジャケだけでは不十分だと思ったのか、裏ジャケにはグールドによる長文の解説が記載されています。特にシェーンベルクの楽曲解説は半分以上を占めており、さらに譜例を7つも示す念の入れようで、12音音楽を解説しています。ただし、自分は技術的なことはさっぱり分からないので、この真骨頂部分は正直、面白くありません。面白いと思ったのは、「協奏曲という概念が、現代の作曲技法の前では枠組みとしてほとんど使い物にならなくなっている」といった舌鋒鋭い部分です。「ベートーヴェンのような偉大な作曲家が、交響曲では『これが私の最後の言葉だ』と言うのに、協奏曲作品だと『これが私の最後の言葉だ、でも、もう一度言ったとしても嫌がらないでください』にトーンダウンする」なんてなかなか言えません。この言葉はハード・ロックにおけるギター・ソロを思い起こせば分かりやすいです。つまり、楽器を際立たせようとするとアンサンブルが冗長になる、そんなことではないでしょうか。協奏曲で目立つ側のピアノ奏者の発言だというところがさらに面白いです。作品に収録されたのはモーツァルトの「ピアノ協奏曲第24番」とシェーンベルクの「ピアノ協奏曲作品42」の二曲です。

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あえてこの二曲を選んだのは、「ピアノと管弦楽のための音楽の実質的な始発点と終着点」だからだとの解説です。まさに「ピアノ協奏曲」がテーマです。クラシックの場合には、モーツァルトなどは神格化されていますから、自分自身を同列において評価する発言はなかなかないものですが、さすがにグールドは違います。結構褒めるところは褒めているのですが、「大した成功作とはならなかった」と冷静に解説しています。この解説を読みながらサウンドを聴いていますと、自分が偉い批評家になったような錯覚に一瞬陥りますが、結局、意味がよくわからないので、いつものように虚心坦懐に耳を傾けるだけの方がよさそうです。大作曲家の作品を名ピアニストが弾くわけですから。本作品でグレン・グールドと共演するのはカナダのCBC交響楽団です。録音は1961年の1月に行われていますが、指揮はモーツァルトワルター・ジュスキント、シェーンベルクロバート・クラフトと二人の指揮者に分かれています。それぞれ得意があるのでしょう。モーツァルトモーツァルトらしいクラシックの王道作品となっていて、甘めの調べに余裕をもって接することができます。グールドのピアノもいかにもモーツァルトです。一方、シェーンベルクは、これまた彼らしい現代音楽作品です。クールなタッチがいかにもシェーンべルク。あえてこの2曲を並べたのは大成功です。協奏曲の何たるかが分かったわけではありませんが、二つの際立って異なるスタイルを並べることで、波が干渉して増幅されています。グールドが協奏曲におけるピアノの役割を考え抜いた貴重な一枚です。

Schoenberg/Mozart Piano Concerto / Glenn Gould (1961 ソニー)