montana_sf16’s diary

気まぐれではありますが「過去記事」を少しずつ掲載していきたいと思います。※アルバム紹介について。⇒ バンド名~アルバムタイトル~(掲載年月) ←この順番になっています。何かご覧になりたいもの等ございましたら受け付けますのでどうぞよろしくお願いいたします。🙇‍♂️

エルトン・ジョン 黄昏のレンガ路 (2015―12)

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f:id:montana_sf16:20231006020156j:image💿️Goodbye Yellow Brick Road: Full Album - YouTube

まだ洋楽を聴き始めて間もない頃に大枚はたいて購入した2枚組です。自分の洋楽入門はここから始まったと言っても過言ではありません。「葬送」からプログレへ、「ツイストは踊れない」からハード・ロックへと枝分かれもしていきました。当時、2枚組はビッグ・アーティストにのみ許された特権でした。ビートルズの「ホワイト・アルバム」、ストーンズの「メイン・ストリートのならず者」、ザ・フーの「トミー」。いずれ劣らぬ名盤の中にこの作品も位置づけられます。この頃のエルトンは「一枚のアルバムに収録する曲を5日間で書いていた」そうです。このアルバムはジャマイカ録音を予定していて、そのための準備が終わっていました。しかし、そのスタジオが使い物にならなかったので、急きょフランスの古城に戻って制作を開始します。しかし、当然、順番待ちになってしまい、待ち時間が生じてしまいました。そこでエルトンがもう一枚分の曲を書いてしまったそうです。それで、結果的に2枚組になったという何とも凄い話が残っています。レコーディング自体はわずか2週間で終了したといいます。それでいて、しばしばエルトン・ジョンの最高傑作と呼ばれる作品を作り上げたのですから、当時のエルトンと仲間たちの充実ぶりは凄いものがあったということです。アルバム自体は英米で1位、特に米国では8週間にわたって1位となる大ヒット、全世界で3000万枚というもの凄いヒットになっています。日本でも大スターになりました。~続⤵️

f:id:montana_sf16:20231006023747j:image f:id:montana_sf16:20231006023804j:image f:id:montana_sf16:20231006024022j:image f:id:montana_sf16:20231006024035j:image f:id:montana_sf16:20231006024050j:image🎦Elton John - Goodbye Yellow Brick Road - YouTube

音楽メディアだけでなく、一般メディアに登場するスーパースターになったのでした。しかし、2枚組はさすがに長い。自分はそれこそ何度も何度も聴きましたが、2枚を聴き通すとお腹いっぱいになってしまい、いつもLPで言えばC面あたりで、ちょっと苦しくなりました。その後、盛り返すのですが、今でも当時の感覚から抜けきらない。アルバムからは、不朽の名作「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」を始め、R&Bチャートで人気のあった「ベニーとジェッツ」、英国で人気の「土曜の夜は僕の生きがい」、そして田舎者なら胸に響くであろうタイトル曲と4曲のシングル・ヒットが生まれています。個人的にはとりわけタイトル曲に思い入れが深いです。当時のラジオ番組「百万人の英語」で、タイトル曲の歌詞を解説付きで和訳していたのを聴いて、皮肉に満ちたバーニー・トーピンの歌詞の威力を思い知らされました。洋楽の歌詞の世界に目覚めたのはこの曲のおかげカモ?です。もう一曲、大好きなアルバムの最後の曲「ハーモニー」は5枚目のシングル候補になったそうですが、5枚は多いとして発売は見送られました。この歌はエルトン屈指の名曲だと思っている人がたくさんいるのに残念です。さまざまな曲調の歌があり、いろんな意味で自分のその後の洋楽人生を決定づけた忘れられないアルバムです。それほどこのアルバムに入れ込んでいたので、結局、これ以降、エルトンのアルバムをあまり聴くことはなくなってしまいました。変な話かもしれませんが。

Goodbye Yellow Brick Road / Elton John (1973 DJM)