montana_sf16’s diary

気まぐれではありますが「過去記事」を少しずつ掲載していきたいと思います。※アルバム紹介について。⇒ バンド名~アルバムタイトル~(掲載年月) ←この順番になっています。何かご覧になりたいもの等ございましたら受け付けますのでどうぞよろしくお願いいたします。🙇‍♂️

ストレイ・キャッツ 涙のラナウェイ・ボーイ (2017―4)

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f:id:montana_sf16:20240409215314j:image f:id:montana_sf16:20240409215324j:image💿️Stray Cats - YouTube

ここ日本では、まだあどけなさを残したティーンエイジャーが、お父さんの時代のレトロなロカビリーを粋がって奏でているというのがストレイ・キャッツの一般的なイメージでした。ですから、本作品も邦題は「涙のラナウェイ・ボーイ」、次作は「ごーいんダウンタウン」です。このデビュー・アルバムが発表されたのは1981年2月、原宿では竹の子族が話題になり始めた頃です。ローラー族はもう少し後のことですけれども、日本にはロカビリーのクールスがいましたから、ストレイ・キャッツはそのアイドル版と言った趣きでした。しかし、このバンド、そんなイメージとは裏腹になかなか凄いバンドでした。どうせ下手クソだろうと思った人が多かったのに、特にブライアン・セッツァーのギター・ワークは多くの人の度肝を抜いたと思います。かっこよすぎ。デビュー作となる本作は英国のチャートで6位にまで上がるヒットとなり、「涙のラナウェイ・ボーイ」と「ロック・タウンは恋の街」はシングルとしても大ヒットしました。彼らの最高傑作と衆目が一致する素晴らしいアルバムです。ストレイ・キャッツは英国で本格的にレコード・デビューしましたけれども、元々はニューヨークのバンドです。彼らのトレードマークとなるロカビリー・サウンドはニューヨークでも話題になっていたようですが、英国に渡ってからその人気に火が付きました。そのストレイ・キャッツはギターとボーカルのブライアン、ドラムのスリム・ジム・ファントム、ベースのリー・ロッカーのトリオです。

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f:id:montana_sf16:20240410044451j:image f:id:montana_sf16:20240410044510j:image f:id:montana_sf16:20240410044521j:image🎦Stray Cats - Runaway Boys [Top Of The Pops 1980] - YouTube

スリムのドラムはスタンディング、リーのベースはウッド・ベースをスラップ奏法でというこだわりようでロカビリーの世界を再現します。プロデューサーには、ニック・ロウとのコンビで知られるロックン・ロールの探求者デイヴ・エドモンドが当たりました。ストレイ・キャッツとのケミストリーがばっちりであることは、このアルバムの完成度の高さを見れば一目瞭然です。デモ音源を聴くと、リーはスラップ奏法をしておらず、制作中に懸命に練習した模様です。ここに典型を見る通り、デイヴとストレイ・キャッツサウンドの完成に向けて、並々ならぬ力を注いでいます。ますます最初に掲げたイメージが当たらないことが分かってきます。ロカビリーはエルヴィス・プレスリーが始めたようなものですが、このアルバムにはその頃のロカビリー曲のカバーも含まれています。ロカビリー調のオリジナル曲もあるものの、他にもスカを取り入れたサウンドやクラッシュのようなロックン・ロールなど意外と幅が広い。アルバムには収録されていませんが、シングルB面ではモータウンの曲もやっていることから分かるように、基本ロカビリーながら原理主義者ではありません。オリジナリティーもあり、演奏能力も高い。それでいてロカビリーの文句ない楽しさに充ちています。このアルバムがネオ・ロカビリーとかパンカビリー呼ばれるブームを巻き起こしたと言っても過言ではありません。50年代を80年代に蘇らせた功績は大きく、単なるアイドル・タレント扱いしていたマスコミには反省を迫りたいものです。

Stray Cats / Stray Cats (1981 Arista)